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尾瀬もこれから冬ごもり 

10月の7-9日 コロナの緊急事態が解除、鳩待峠から東電小屋で一泊、さらに温泉小屋から三条の滝に、温泉小屋で一泊し帰りました。秋の三条の滝は水量もちょうどよく、でも帰りの御池方面の急登はきつかった。でも尾瀬はいつもそれぞれの季節いいですね。

そだちの科学第37202110月号

特集・学習の遅れを支えるー限局性学習症のいまエッセイ:学習の遅れ;LD)をめぐって

 

新しい学習障害(LD)の像を求めて 上野一彦

 

はじめに

 学習障害と呼ぶか,学習症と呼ぶか,あるいはLDと呼ぶか,その用語をより正確に特定するために特異性もしくは限局性とかを冠につけるかは,それぞれの専門領域での習慣や好みの問題であるが,その本質に大きな変化はないのではないだろうか。少なくともこの言葉の生い立ちを知る者にとっては言葉の歴史とこれから展開していく言葉の意味する姿に限りなく興味を覚える。まさに半世紀前に,学習障害(learning disabilitiesLDとここでは略す)という術語をわが国に紹介し,日本LD学会を立ち上げ,学術団体としての登録もした。それゆえに,この言葉の理解と発展に象徴される,今世紀初頭の特殊教育から現在の特別支援教育への転換を,大きな河の流れとして見守ってきたものとして,私の知っているLDの話を今しておこう。

なぜLDは教育用語といわれるのか

わが国において特殊教育から特別支援教育への転換,そして現在の発達障害のある児童生徒への特別支援教育の発火点ともなったLDの支援教育についての公的な議論が始まったのは19906月に文部省(現,文部科学省)に置かれ「通級に関する調査研究協力者会議」の席上であった。全国LD親の会(設立19902月)設立などと連動する保護者や研究者たちのロビー活動の成果でもあったと思う。2年後にその審議のまとめ「通級による指導の充実方策について」が出され,翌19934月より「通級による指導」が制度化され施行されたが,LDのある子どもは支援対象として積み残された。

LDの支援教育についての専門的議論はその後,新たに設置された「学習障害及びこれに類似する学習上の困難を有する児童生徒の指導法に関する調査研究協力者会議」に引き継がれた。当時,数少ないLD研究者のひとりということで通級に関する協力者会議において初めて意見の聴取があったのだが,1992年からのLDに関する協力者会議にも正式な委員として初めて加わることとなった。

この続く会議が開始された当初,私はたまたま文部省の在外研究員として米国に滞在しており,半年を過ぎた19931月に帰国,初めて会議に出席した。どのように検討が進んでいるのか大いなる期待をもって出席したが,LDの定義についても混乱した議論をただ繰り返していることに正直驚いた。インターネットなど普及し始めたばかりであり,海外の情報は今日のようにリアルタイムではなかなか伝わってこなかった。会議の席上,「LD概念発祥地,米国ではこうした議論はほぼ収束しており,LDに関心を持つ8つの主要な研究団体の代表で構成されたNJCLD(National Joint Committee for Learning Disabilities:全米LD合同委員会)の統一定義(1988)を下敷きにしてまとめるべきではないか」という意見を生意気にも強く主張したことを思い出す。

本邦におけるほぼ半世紀にも及ぶLDの歴史を振り返るとき,「公式以前の定義」についても,操作的かつ排除定義という特徴をもつこのNJCLDの統一見解から再度見直しつつスタートさせるべきだと,今日,その歴史の証人の一人として思うものである。同時に米国におけるLD は,教育という観点から取り残されている子どもたちに支援の光をあて,救いだすという「セーフティネット」としての役割が強調された。この辺りの事情は1990年以降のわが国の教育事情とも酷似している。これが発達障害の典型症例であるASDADHDが医学用語と呼ばれるのに対しLDが教育用語と強く主張される所以なのであろう。

DSMとの関わりー教育が医学から学ぶものー

 医学と教育はよい連携を保つべきだとよく言われる。もちろん私もそう思う一人である。そのためには,それぞれの領域の歴史と役割について一定のリスペクトと同時に共通点と相違点についても知らなくてはならない。そう考える私にとって,たまたま専門書店で手に取った「DSM--R精神障害の診断・統計マニュアル」1988:高橋三郎訳,医学書院)に,医学領域の新しい診断体系の息吹門外漢の私にも多大な刺激を与えてくれた。

当時教育界では,重度の知的能力障害(当時は精神遅滞)に対する特別支援学校(当時は養護学校)を全国に作っていく機運が一段落したところでもあった。障害と健常という二分構造の中で,両者の溝を埋め,連続的な支援教育の必要性に気付き始めたのが,LDへの関心の高まった1990年代といえる。それは「重度から軽度へ」という言葉にも象徴される。

 LDとは何かという素朴な問いは,先進する医学ではどう捉えているのかという疑問にも通じた。そうした中での手掛かりの一つがこの診断・統計マニュアルだったと思う。そこには,幼児期,小児期または青年期に発症する障害のなかに,発達障害が,そしてさらに精神遅滞(現在は知的能力障害),広範性発達障害,特異的発達障害の3カテゴリーが,そして特異的発達障害の下位分類として学習能力障害,言語と会話の障害,運動能力障害などとなっており,それらにはコード番号が付けられており,実に整然としたカテゴリー分類であった。

その後,DSM-Ⅳ,そして現在のDSM-5とさらに検討は進化していったわけだが,その道程は医学の近接領域にいる我々にとっても強い影響を与えるものであった。同時に,精神医学上の診断カテゴリーと基準の標準化に貢献したことで知られるこの本に,興味を覚えたのは教育や心理学に携わるものにとっては当然だったかもしれない。

代表訳者であった滋賀医科大学の高橋三郎先生に,医学で訳される学習能力障害について,私の立場からその述語の定義や訳についての違いを,出版社を通して厚かましくも私見を申し上げたところ,「今後検討させていただく」旨の丁寧なご返事をいただいたことに驚きを禁じ得なかった。このことは結果的にはDSM-5によって見事に整理されてきており,旧態然とした用語のままにある私共,教育や心理学関係者,さらには法律関係者にとってもこれらの医学の分類検討にこころから敬意を表するものである。

新しいLD概念を求めて 今一度,多様性の中にLD像の再構築を

 LDという用語は,一般的な勉強のできなさ,学習の困難(learning difficulties)とよく混同される。あくまでもその子どもの認知発達の特性を背景とした困難さであるので,「特異的(もしくは限局性)」という冠をつけることは,混乱を避けるための優れた知恵と言える。今日,障害の種類や程度だけでなく,支援にあたってはその個別的なニーズをしっかりとらえることが重視される。それは「障害の種別と程度によって特別な場を設けて行う特殊教育から,新たに発達障害をも対象とし,一人ひとりのニーズに応えるインクルーシブ教育を目指す特別支援教育への転換」という,わが国の教育界での大きな変化を再度確認しておきたい。同時に,障害の軽重は,環境の整備によっても変化するという立場に立つ。

 教育行政上の発達障害,その典型例であるLDなどの障害状態は,障害のあるものとそうでないものとの中間的に位置する,いわば「中間的」かつ「架橋的」存在であるという認識も大切だと思う。障害を単に健常との対比で二分したり,障害種別という観点からのみ理解したりするのではなく,その個人に対する支援ニーズについて質と量から,一種の連続体として捉える観点が必要であり,言い換えると子どもの利益を最優先に考えるという立場にも通じる。

具体的かつ効果的な支援を考えるとき,何よりも必要なのは,その個のニーズであり,子ども自身が求める特異的なニーズではないだろうか。これからの概念定義,そしてその理解の背景に「learning differences(学びの相異)」,あるいは「learning diversity(学習の多様性)」という新しいLD視点の必要性について指摘しておきたいと思う。

LD概念とこの概念の展開には2005年の発達障害者支援法(2016年改正)や2016年の障害者差別解消法などの施行が大きなバックアップとなってきた。まさに「理解と啓発の時代から,効果的な支援と対応の時代へ」の移行を迎えているといっても過言ではない。LDという言葉が,1970年代の米国の教育界で,約30年遅れでわが国の教育界でも大きな広がりを見せたわけだが,どちらの国においても,当初「セーフティネット」としての支援教育を渇望するニーズがその社会的背景にあったことは先に述べた通りである。

 そして今日,21世紀の教育を考えるとき,各界を横断するより厳密な定義を進めるとともに,その背景にある社会的ニーズについてもまた改めて認識すべきだと思う。そうした当事者のニーズを中心に,各界からのその概念のあるべき姿を求めることこそが,そうした言葉によって初めて理解される人々の将来像を明るいものとしていくと信ずるものである。

【文献】

FlanaganD.P & AlfonsoV.C.(2011). Essentials of specific learning disability identification. NJ:Wiley.(上野一彦・名越斉子().(2013).エッセンシャルズ 新しいLDの判断.東京:日本文化科学社.

学習障害及びこれに類似する学習上の困難を有する児童生徒の指導方法に関する調査研究協力者会議.(1999).学習障害児に対する指導について(報告).文部省.

 National Joint Committee on Learning Disabilities.(1988). Definition of Learning Disabilities. http://www.ldonline.org/about/partners/njcld/archives.

上野一彦.(1991).学習障害の概念・定義に関する考察.東京学芸大学紀要(第一部門教育科学)42111117.

 

上野一彦.(2016).学習障害とは:学習障害の歴史.こころの科学,18710-14.日本評論社.

最北端にて

    祈願 コロナ退散   五百羅漢  長安寺   

コロナ禍でも 桜 は律儀に 咲きます

目黒川の桜
目黒川の桜

目黒川              水面               ソールライター風に

 

最期のご奉公

実は今月、学校法人旭出学園の理事長を引き受けることになりました。

旭出学園は1950年に開園された私立の特別支援学校です。私の恩師三木安正先生が目白の徳川邸に最初の学園、そして1960年に研究所を開設しました。1962年には現在の練馬区大泉学園に移転いたし、幼稚部、小学部、中学部、高等部、専攻科として今日に至っています。

私は1967年、大学院に進学したときに非常勤研究所員となり、以来25年、旭出の成長期、三木先生の下で学園に関わり、1975年、東京学芸大学に奉職したときも、、LDや知的障害の研究のフィールドとして研究所に所属いたしました。1984年5月三木先生がご逝去された後も学園経営の手伝いをし、1992年、文部省の在外研究員として渡米した折に、旭出学園を離れました。その後、三木先生退官後の私の指導教官であった肥田野直先生が理事長を18年され、先生が退かれるときに理事の一人として再び旭出に関わることとなりました。この度、徳川恒孝理事長が体調を理由に急に退かれることになり、その後を理事会から託されました。

私自身、現役を引退しスローライフを満喫しておりましたが、最後まで子供たちのために努力し続けなさいと神様に言われたような心境です。皆さんのお力添えをいただき、なんとか旭出学園のためにもうひと努力したいと思います。どうぞよろしくお願いいたします。

Dr. INAGAKI ありがとうございました

昨日、東京都の特別区のひとつである渋谷区で、特別支援教育のよい支援相談モデルを作ろうと、どこよりも早く当時の教育長らと専門委員会(現、支援委員会)を立ち上げ、一緒に努力を続けてきた医師の稲垣稔先生がご体調を理由にお辞めになった。渋谷で三代続くクリニックの医師(現在、息子さんが医院長)であり、発達障害への造詣も深く、私は誰よりも信頼してきた。教育と医療と福祉の連携を大切に、家族関係へのアドバイスや児童の描画の解釈など、どれだけ温かくそして厳しいアドバイスをいただいたかわからない。私自身、両腕をもがれた感があるが、先生が紹介された何人もの医師や心理師、専門員らスタッフと共に渋谷の支援システムの一隅を照らす仕事を今しばし続けたいと思う次第である。稲垣先生本当に長い間ありがとうございました。

蓼科にて 

守矢資料館から諏訪大社本宮までの山道は奈良山野辺の道を彷彿とさせた。茅野からバスで40分、蓼科女神湖は雪がチラついていた。たまたま寄った湖畔のCafe「蒲公英(たんぽぽ)」はトーストもルバーブのジャムも、奥さんの手なるリースもよかった。こんな平和な時間がもっともっと欲しいが、これからの日本は、いや世界はどうなっていくのだろう・・・

皇居 東御苑にて

新型コロナ第3波襲来
パンデミックという言葉を脳裏から消し去るなと言わんばかりに、冬の到来とともに新型コロナの第三波の確実な足音が聞こえ始めました。器量の小さな政治家が内外に溢れ、そんな彼らを自己の小さな欲望から支える人々が決して少なくないという現実に絶望感さえ感じます。
病魔は自分たちの外の世界にいると確信してるかのように行動する若者たちのあの奢りというか弛みは、私自身のなかにもあることをひしひしと感じます。人間という生き物は実にわがままで弱い存在であることを今更思い知らされる昨今です。

散歩の途中で

     十月桜           酔芙蓉           ススキ

日本理論心理学会第66回大会   開催校 帝京大学  2020年12月19日(土)・20日

(オンライン視聴可能期間:2020年12月7日(月)-12月20日(日)

 新型コロナ下での開催のため、私の講演はオンラインで視聴可能です。ご興味のある方はどうぞ。大会のHPは、https://sites.google.com/view/theory66/%E3%83%9B%E3%83%BC%E3%83%A0?authuser=0

尾瀬紀行 久しぶりの草紅葉

コロナは収束しつつあるのかなと不安の中10月1日から4日、尾瀬に行ってきました。最終日には至仏山にも登りました。疲れと脚の張りはあるもののアキレス腱の痛みも不思議と消えました。10日程前、高尾で足慣らししたとき、左足を庇いすぎたのか右の脚が上がらなくなり、整形外科で右脚の筋肉疲労による坐骨神経の影響と診断されましたがなんとか乗り越えました。

後期高齢と基礎疾患を抱えたままそれなりの老後を送っております。

「不条理」の中で新生活様式を探る

コロナ騒ぎの中、人類の歴史はウィルスとの戦いだったの言葉に、カミュの「ペスト」を再読しました。 淡々とした筆遣いの中、様々な人物が登場し、書き手であり、主人公の医師リュウは別にしても、登場人物のそれぞれの生き方の誰にプロジェクションするかといった思いを抱きつつ興味深く読み終わりました。

時節柄、歴史の中で変わらぬ相も変らぬ人間の共通した感情と行動に驚きを感じました。ロックダウンによる親しい人々との突然の別離と封鎖都市空間という極限状態での人間模様、むしろ精神的変容は、新生活様式を模索する昨今と全く同様で現実味がありました。ペストの凄惨な感染容態はコロナの重症症状よりも鬼気迫ります。コロナはどこに潜んでいるのでしょう。この体験はまさに不条理であり、そうした不条理の中でそれぞれの精神が研ぎ澄まされ、あるいは鈍麻していく様は本当に身につまされました。ペストに先行する「異邦人」もまた読み返してみたいと思いました。

本当のスローライフとは

1月の後半から間もなく半年、今回のコロナ騒ぎはたくさんの教訓を残しました。リーダーたる方々の判断にその方の資質を見る気がします。「判断は生命か、金か、再選か」経済も社会的命と考えれば大切は大切ですが、人の命はやはり最優先であるべきです。自分の人気とか、選挙のことしか頭にないリーダーを持った国民は東西を問わず不幸です。

長い自粛生活の中、次第に自分のリズムができてきた気がします。テレワークもそれなりに新しい生活様式といえます。「朝目覚め味と匂いをまずチェック」してから子供のころの夏休みのように、朝のラジオ体操に始まり、不要不急と言われればそれまでですが、人の出の少ないうちの散歩は体力維持のために必須です。自分の家を中心に東西南北、普段知らない場所が結構あるものだと知りました。たまたま私が住んでいる地域には、公園や寺なども多く、毎日のようにそれらを目標に歩き回りました。「全国民クルーズ船で漂流す」みたいな不安の日々でしたね。

6月になって急に経済の再建に舵がとられ、あっという間に元の生活ペースになりつつありますが、PCRの検査体制がどうも不明です。「Go To キャンペーン」が叫ばれるかと思えば、不要不急の他県への移動の自粛」が呼びかけられるなど、まるパフォーマンスとパフォーマンスの間で個人の判断力が問われています。政治家の虚な言葉に支配されたくありませんが、これからどのように推移していくのか、何を信じたらよいのか五里霧中です。「怖いのはコロナじゃないよココロだよ」
個人的には、10年以上、細々続けてきたスイミングで新境地を会得しました。それは突然やってきました。6
月から再開したスイミング、週3、4日、毎回1000mが日課となりました。一般の速度に比べるとおそろしく遅いペースですが、今の僕にはこの30分強のペースがちょうどよく、軽いジョギング並みなのですが快適です。まさにスローライフというべきか。

前にも書きましたが、100害はあるなか1利はあったというところです。振り返ると、コロナで命を落とされた方のこと、改めて心痛みます。今後どのような推移たどるのかわかりませんし、元の生活様式に戻れるかどうかもわかりません。ただただ「ありがとう言い残したい人が増え」といったスローライフを実感する今日この頃です。

間もなく梅雨です

まだまだ油断できませんが、新型コロナも少し落ち着いてきました。自粛生活からかつての日常生活が戻りつつありますが、ややぺース取り戻すのに躊躇あります。

身体が忘れているというか。意識して行動しなければなりませんね。

写真は友人から送られてきた多摩センターのグリーンガーデンで咲き出した「トケイソウ」の花です。自然は完全で美しいとつくづく思います。説明によると『花をよく見るとキリストが磔になったような手足の位置』になっているとか。仕事はわずかなデスクワークしかないので、一日7000歩前後の散歩と週数回の10年以上続けているスイミング(家内はトドの水遊びといっていますが)、そしてKindleでの読書など、感謝しつつ生きています。

村上春樹の短編猫を捨てるー父親について語るとき」を読み、まさに同世代の時代感覚、家族感覚を共感しました。時節柄、カミュの「ペスト」も読み始めています。

6月になりました 

長かったコロナ自粛生活もようやく収束の兆しが見え、WHOも早々終息宣言を出しました。
本日6月1日から東京都も「ステップ2」に移行し,長く休んでいましたスポーツジムなども再開いたしました。ただ経済活動最優先のため統計値にも忖度がないわけもなさそうで、自己判断するにも難しいところあります。第2波が穏やかに過ぎていきますように祈ります。
朝の散歩の途中でたくさんの紫陽花に出会いました。紫陽花はやはり湿った空気が似合います。

百害あったが一利もあった

今年突然世界を席巻した新型コロナウイルス( COVID-19)、14世紀のペスト大流行、100年前のスペイン風邪、そして近くは2002年に流行したSARSなど、歴史をたどれば正に人類は感染症との戦いでもあっただが、のど元過ぎれば熱さを忘れるのことわざ通り、私たちはコロナ蔓延に際してさまざまな反応をとった。世界のリーダたちも、当初大したことはないと高を括るものもいれば、国民の安全と経済や自分の再選を天秤にかけて右往左往するもの、科学的根拠を一途に信じて突き進むものなどさまざまであった。国内にあっても、もしも自分が知事という立場ならどうするのだろうかなどと人間の判断の難しさを日々感じさせられた。

そうしたなか、臆面もなく自分勝手な行動をとる人たちもいれば、多くの方々は日本人らしい自粛の生活を送ったと思う。ただ、そうしたなかで十分な手順、手立てを講じる間もなく命を落とされた方々もいた。女優岡江久美子さんの死は、臨終にも、火葬にも立ち会えなかったご家族のことを考えるととても他人事とは思えなかった。

 ひとことの別れも言えずに逝く無念 この句は、私から岡江さんとご家族に送る句です。

確かに百害はあったと思います。そうした自粛生活の中で自分の残り少ない人生をさまざまに考える時間があったこと、家族や友人を違った目で見ることができたことなどはそうしたなかでのわずかな一利であったと思います。改めて歴史に学ぶことの大切さと、そうしたことに無頓着な政治家を持つ国民の不幸を改めて感じた次第です。

私たちはコロナからたくさんのことを学びました

ソール・ライターに憧れて

コロナなんかにゃ負けないぞ! 路傍の花たち

せめて写真で目黒川の桜を 一日も早いコロナの収束を祈って

プチ散歩の途中で

  自然教育園玄関        明治通りの夜桜         胴吹

新型コロナの終息を祈る

パンデミック、基礎疾患などの言葉とともに、猛烈な勢いで世界に蔓延した新型コロナウィルス。科学の発達した現代でもその猛威を抑えることはなかなか難しい。同時に、情報操作や、買い占めなど人間の本性を見せつける場面も多い気がします。一日も早い収束と完全な終息を心から祈ります。こんな時こそ冷静な判断と行動が求められている気がします。

春の兆し 目黒庭園美術館の庭にて

久しぶりの快晴 散歩がてら近所の目黒の自然教育園に行ってきた。昨年の台風で江戸時代の名残を残す松の老木(オロチの松)があまりにも見事にも(?)倒れていた。寂しい気持ちのまま隣の庭園美術館のルネ・ラリック展ものぞいた。アール・ヌーボーの後のアール・デコのガラスの芸術も素晴らしかった。庭に出ると少々寒かったが、紅梅、白梅がほころび、沈丁花も律義に春を告げていた。新型コロナ・インフルエンザの流行で大変な時期なのだが。

RTIをめぐって

年末、NYから帰ってきた教え子が、米国でのRTI(Response to Instruction)の現状について話してくれました。米国はそれぞれの州でいろいろな考え方のある国であることをあらためて考えさせられました。

RTIはLDの判定において、認知テストと学力テストの差異(ディスクレパンシー)によるこれまでの方法に対し、テストをする前に、教師が有効だと思う指導法を実践しその成果を客観的に分析し有効かどうかを見極めていく方法として法律的にも認められてきました。その段階は3つありTier1から3まで構造化されています。 これらの方法が子供たちにとってどのように有効かが教育界でも大きな話題になっているのです。

さてそのお話の一部ですが「NY州では2014年頃から4年生以下の生徒のLD診断にはRTIが必須になりましたが、5年生以上はRTIをとばして既存のDiscrepancy Modelですぐに診断して良いことになっています。それぐらいの年になると、学習の遅れがすでに顕著なためだと考えられます(4年生以下は、RTIの後、Discrepancy Modelを使用してLDの確定診断をします)。RTIも15年ほどたち、ようやくその短所も明らかになってきた感があります。未だに、Tier 3=特別支援教育という州、Tier 3のさらに上に特別支援教育が位置づけられる州(NYなど)など、その定義もまちまちなようです。」

もっといろいろな情報が知りたいところです。 

2020(令和2)年 あけましておめでとうございます

   昨年の夏、兄弟のように育った親友を無くしました。わずか2カ月という闘病生活でしたが

近くの病院でしたので、ほとんど毎日のように会いに行くことができました。暮れから正月にかけ、彼が若い頃住んでおり、晩年、年に半分は過ごしていた京都に家内と行ってきました。

八坂神社でのオケラ参り、北野天満宮での初詣、ついでに同志社女子大学ファウラーチャペルでの新年賛美礼拝と宗教と習俗の混じった、ある意味で日本人らしい正月でした。 

           八坂神社               北野天満宮         神泉苑

喜寿の会

満76歳を迎える前々日、教え子たちがせっかちな私を象徴するような喜寿の会を開いてくれました。

1975年東京学芸大に赴任したときはじめて持った学生たち、LDの子どもたちの最初の臨床指導の場「土曜教室」、そして2009年退職する迄の間、実にたくさんの学生たちに巡り合いました。

人を教えることがこんなに素晴らしいことだということをしみじみ感じた夜でした。

特別支援教育のこれから

長い準備・試行期間を経ての2007年の特別支援教育への移行以来、障害と健常を二分する理念の転換。具体的支援システムの充実は目をみはるばかりです。たださらにこれからの展開を考えますと単なる充実への加速だけではなく、おかしな方向性も目につきます。杞憂でなければよいのですが。

例えば、通常の学級に在籍する児童生徒に対する支援システム「通級による指導」の発展の中で、自立活動を強調するためなのか、単なる教科の補充指導ではないという捉え方が、教科指導の軽視につながっている危惧があります。少なくとも小学校低中学年の早期発見/早期対応の中では学習の遅れやつまずきに対する適切な手当ては子どもの学校での適応や今後の進路選択にとって重要な課題です。LDだけでなくASDやADHD(しかも重複するケースも多く)などの発達障害系の子どもたちに共通する学習の習得にみられる困難への対応は基本的事項です。「子供たちが求めるよい支援とは、利用しやすく効果がなければならない」わけで、基本的学習の取得を忘れたかのような指導は将来の大きな課題を増幅させる結果を招きかねません。情緒障害学級からの転換がその背景にあるならば、それは実際の指導側からの本意ではありません。障害種別からニーズに対応した支援は、支援教育の大きなゴールなのですから。一部にやみくもに感覚統合やSSTだけが指導であるかのような捉え方を強調するのは実に浅薄な理解です。また、言語障害学級の改革は、その歴史と役割を考えたとき大きな曲がり角に来ている気がします。あわせ実際の教育相談の中で遅れが目立つのは、通常の学級にいて知的発達がややゆっくりしている子供たちへの手厚い指導体制ではないでしょうか。これまでの発達障害といった捉え方とは、別にこうした学習に遅れを来たしやすい子どもへの対応も大切です。

いろいろな支援形態がありますが、取り出しだけでなく、通常学級での少人数指導などは、子供たちの側の抵抗感も少なく、もっと充実させるべきです。本来、障害児と健常児の間は連続しているのですから,そこに線を引くシステムには限界があります。教師たちは弾力的に対応する力を持ってはいますが、それをもっと可能にする具体的システムこそが課題なのです。

一年の終わりに、特別支援教育の発展を心から願うものとして一言述べさせていただきました。建設的な意見をぜひお寄せください。kazuhikoueno1229@icloud.com

この父親を誰が責められますか

自宅で長男を刺殺した元農林水産事務次官の裁判員裁判の第2回公判が東京地裁で開かれた。東京地裁で開かれた裁判員裁判で、被告は「息子にできるだけ寄り添って生きてきたつもりだが、つらい人生を送らせてしまった」と涙をこぼし、「取り返しのつかないことをした」と話した。自殺した娘、家庭内暴力でけがをしている妻、壮絶な家族の苦しみがそこにはある。NEWSでは息子には発達障害があったと伝えられる。

私自身発達障害と半世紀関わってきただけに、今この父の慟哭を黙って受けとめるだけです。

第28回日本LD学会 開催される

 

  Learning Diversity を発信

11月9日10日の両日、第28回日本LD学会がパシフィコ横浜で約4000人もの方々が参加されるなか開催されました。

私も大会企画シンポジウム、学会企画シンポジウムなどで これからのLDを含む発達障害のある子供たちの明日に向けていくつか話題提供や指定討論をさせていただきました。 その中で 本学会の名称でもあるLD(特異的

 小貫大会長・竹田先生・原先生・小野先生らと    学習障害 : specific learning disabilities)から Learning Differences(学びの相異)という 発達障害全体の理解と支援に必要な概念に さらに次世代に向けて Learning Diversity(学びの多様性)という考え方を初めて発信させていただきました。これはこれからの学会の基本的なスタンスというか方向性を示す概念になるのではないかと私は思います。どうぞ皆さんのお考えをお聞かせください。

「障害」から「個性」へ    チャイルドヘルス「マイオピニオン」:2019年3月号掲載    「障害」という言葉を使わず「症」という表記が、アメリカの精神医学の診断書

「DSM-5」や最近発表されたWHOの「ICD11」でも広がってきているように見えま

す。わが国でも「障害」の替わりに、「障碍」やあえて「障がい」とカナ表記にする自治

体や団体もあります。 

 言葉というものはその国の歴史や文化、つまりは人々の考え方そのものを反映するもの

なのでこうした動きは大切です。かつて法律的に用いられてきた「精神薄弱」は、現在

「知的障害」に統一されましたが、さらに医学では知的能力障害(知的発達症/知的発達

障害)という言い方が採用されています。 

 30年近くも前のことですが、私が長く携わってきた「学習障害(LD)」のある子ども

や人々への理解促進と支援方法の研究に関心をもつ方々で設立された「日本LD学会」の

設立時、学会名に「学習障害」を使用せず、あえて「LD」とアルファベット表記にしたの

も障害の2文字を使いたくないという気持ちが働いたからです。  

私たちが使ってきた「障害」は、障害のある人(支援の必要な人)と、障害のない人(支援

の必要のない人)という2種類の人がいるように考えさせがちです。それがさまざまな偏

見を生む背景にあります。なかには支援は必要だし欲しいが、そうした障害というグルー

プには入りたくない、入れられたくないと感じる方も多かったと思います。 

 LDやADHD、自閉スペクトラム症などの発達障害の場合、とくに知的遅れがあまり目

立たない子どもの場合は、これまでの障害のもつイメージよりも軽度、もしくは障害と健

常の中間にあるといわれます。そこで発達障害は障害と健常の溝を埋める存在、その橋渡

しの役割を担っているのです。 

 支援の必要さも、それぞれの子どもや人々にとっては連続しています。 障害という名

称がその支援を受けにくくさせているのでしたら、「障害」を「個性」と言い換えてもい

いのではないでしょうか。知的障害も発達障害も、個性的存在であって、その特徴をよく

理解し、子どもたちが自立し社会に参加していくのに必要な支援を、その発達段階で常に

考えていかなければならないのです。 

「障害は理解と支援を必要とする個性」というのが、私が長年主張してきた言葉です。

さまざまな個性があるゆえに、より深い理解や支援が必要とする個性もあるという意味で

す。 

そうだとすれば、たくさんの子どもたちがその対象となるので、一部の子どもを「障害」

という特別な存在として区分することもあまり合理的ではありませんし、意味もありませ

ん。もちろん行政的にはそうした区分が必要であることは理解しますが、だからといって

人間を二つのグループに分けるものではないはずです。 

私たちは、人間を分けて理解しようとしがちです。それが大多数と少人数になる分け方

だと余計、差別や偏見を伴いがちになるという傾向があります。いささか大胆な意見です

が、 

「障害」をひとつの「個性」ととらえる立場からも、「特別支援教育」がこれだけ多くに

人々に支持されつつあるという現実からも、「特別支援教育」の特別を取った単なる「支

援教育」という呼び名でもそろそろいいのではないかと思っています。  (上野一彦) 

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私が所属している川柳同人『ぱらぼらⅡ』、川柳同好会『多年草』等に載せている拙句を、文芸同人誌『琅』にエッセイの形で紹介しております

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  琅  第39号が  2020年12月でました。(印刷ミスがあり本日3月22日修正いたしました)

エッセイ「たかが川柳されど川柳(十五)」が掲載されています。

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